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今年の2月20日卒業した学校に用事があり、ついでに甲府城と武田神社へ寄ってきました
私が学生時代は甲府城はほぼ放置されていたというか、城址として活用されておらず、城内になぜかプロペラ機が展示してあったりしていましたが、久しぶりに行ってみると城址として復元整備されており驚きました。
甲府城は武田家滅亡後、徳川支配になり、さらにその後、豊臣家の家康牽制の重要拠点となり徳川時代には江戸防衛の要として将軍に近い親藩が納める地となりました。
甲府城は関東地方で織豊期の石垣が残る結構珍しいお城だそうで石垣を眺めるだけでも結構楽しいです
甲府城は江戸期に天守はなかったようですが、天守台が残っており、また金箔瓦なども見つかっていることから豊臣統治時代には天守があった可能性があるそうですが明確な証拠は見つかっていないそうです。
もし天守があった場合、つけ櫓があったであろう独特な形状が凄く素敵です。
本丸の南側にある復元された櫓門
稲荷曲輪にある復元された稲荷櫓
稲荷櫓内部
二回は残念ながら立ち入り禁止でした。
甲府城の主な遺構は駅の南側にありますが、この門は線路を挟んで北側にあり、櫓門と虎口が復元されていますが甲府城からは陸橋で線路を渡っていく必要があります。
学生時代に来た時には石垣しかなく、関係ないプロペラ機がおいてある城址にがっかりした記憶がありますが、当時のがっかり感を吹っ飛ばすほどきれいに生まれ変わっていて感動しました。
武田家の居館であった躑躅ヶ崎館の跡地に建てられた居館。
城としての役割は最低限ですが、いざとなったら近くの山にある要害山城に逃げ込む予定だったそうです
城としての機能は最低限ですが、神社の周囲には土塁の跡や、虎口の跡も残っていて見ていると楽しいです。
その他天守台が残っているようですが、立ち入りできない区画にある様で近づけませんでした。
高校、大学と甲府市にある学校に通っていたのですが、近頃は山梨に行っておらず10数年ぶりに訪れました懐かしい場所も、変わった場所もあって感慨深かったです。